今、ヨガ哲学を習っています。何度も書いていますが・・・(笑)
その先生から今回出た宿題が「母と娘2人に感謝の手紙を書くこと」でした。宿題を出されてから、「ありがとう」と思える出来事を探したり、センサーを働かせていましたが、娘たちに対してはイライラすることばかりで、見つけられずにいました。
そりゃ「生まれてきてくれてありがとう」「元気に育ってくれてありがとう」当たり前、と思ってはならない奇跡が日常にある、それを伝えればいいということは、頭ではわかっています。
でもついつい、減点方式でできてないところ、自分の不満を優先してしまい、奇跡的な日常でさえも感謝できない気持ちでいました。そんな自分がだめなやつだと落ち込み、どう考えればいいのかわからず、負のスパイラルに陥っていました。
でも今日、無事に3人への感謝のお手紙を書くことができました。きっかけは母からもらった愛の言葉でした。
私は数ヶ月前から、毎朝の母とのメールで何はなくとも「ありがとう」を伝え続けてきました。「今日も良い日になりますように、ありがとう」「今日も仕事頑張ろうね、ありがとう」みたいな感じです。
気持ちはこもってなくても、とにかくメッセージとして発信し続けたんです。すると母の態度が変わってきました。私を褒めたり認めてくれるような言葉が届くようになったんです。そして極めつけの愛の言葉「大好きだよ」でした。
母から直接的な愛情表現をされたことは初めてだと思います。娘である私のことが大切だと思っているはずだし、大好きであるはずだけど、言葉にして伝えてもらったのはとても嬉しかったです。
思えば「ありがとう」の先出しをしていたことで繋がった贈り物だったように思います。私も娘たちに何とか感謝の気持ちを表現せねば・・・考えても苦しくなるので、先生に相談してみました。
「変わろうとするとき、人は苦しみを伴うもの」というお話を伺い、順調ですよ、という言葉を聞いてホッとしました。手紙が無理なら、メモ書きでもいい、「いつもありがとう」だけでもいい、ハードルを下げていただいたことで、緊張が和らぎました。そして行動することにしました。
同じ家に住んでいるけど、あえて郵便を使って届けてもらうことにしました。3人のイメージに合うはがきを選んで購入しました。自宅だと書けないと思い、この勢いで出すところまでしようと切手も購入し、駅前のマックに入りました。私はドケチなので、基本的に外でお茶を飲んだりはしません。はがきや切手、マックのコーヒー代も、郵便を使って届けてもらう手間も、お金と時間をかけることで、この行動が意味のあるものに変わる気がしました。簡単に済ませてはいけない、想いはめんどくささや大変さに乗ってこそ届くのかなという気持ちからでした。
そこからはあっという間でした。スマホにありがとう、と思いつくエピソード、想いを羅列し、書き込んでいきました。はがきはあっという間に感謝の言葉で埋まり、書ききれない程でした。
感謝に大小はない、思っていても言葉にしないと伝わらない、母も娘も自分と違う生き物だという感覚、いるのが当たり前じゃないということ、幸せになってほしい、自信を持って強く生きてってほしいなど、自分の中に優しい気持ちがあったことに気づくことができ、ホッとしました。胸が熱くなるのを感じました。
このはがきが母や娘たちに届いてどんな反応があるのか。先生からはそこは気にしなくていいと言われました。
たくさんの「ありがとう」を伝えることができたこと、それは自分自身がとても幸せだということを強く認識させてもらえる宿題でした。
切手が10月から値上げするそうです。ギリ63円で出すことができたこと、ラッキーでした。冗談です(笑)