こんにちは!今回は、料理の話・・ではありません(笑)ヨガ哲学のお話、自我意識を削ぎ落とすとはどういうことか、説明してみたいと思います。
ヨガの考えでは、私たちはもともと「善」の存在で、最初から何でもできたし、すべて持っているし、完璧な存在であると言われています。生まれたばかりのとき、全員が「善」の存在、例えるなら玉ねぎの芯だけの純粋な状態です。
しかし、大きくなるにつれて、苦しいことやしんどいことあると、自分を守るための鎧を身に着けていく、つまり玉ねぎの皮がついていきます。集団生活でみんなと足並みを揃えなければならなくなり、人の顔色を伺い、正解を求める生き方に変わらざるを得ない、そのための方法や考え方、思考が皮となってどんどん重なり、中の芯が見えなくなってしまっています。
この玉ねぎの皮は、〇〇でなければならない、〇〇であるべきだなど、正解を求めるマインドであったり、白黒つけるような極端な考え方や、自分を守るための見栄やプライドも含まれます。
例えば、私が身につけてきた鎧の一部を紹介します。
「子どもは親の言う事をきかねばならない」「良い母親にならなければならない」「人の役に立たなければ生きてる意味がない」「間違ってはならない」「努力してないと幸せになれない」など。プライドは高くないと思っていましたが、失敗した時にすぐに相談できなかったり、隠そうとしたり、素直に認めて謝れなかったり・・情けないですが、挙げればきりがないほどたくさんの皮を身にまとっています。
このたまねぎの皮、自分を守るために身に付けてきたものを「アハンカーラ(自我)」と呼びます。
この自我は必要なものでもあります。例えば「私は妻である・母である」「看護師であり、ヨガ講師である」など、社会で暮らしていくために必要な考え方でもあります。
しかし、この自我が強くなりすぎると苦しみを生むのです。
極端な考え方や、高すぎる見栄やプライドは、人間関係を築く上で障害になるからです。どんな人でもジャッジせずに受け入れられる器の広さや、素直に自分を見せ、誠心誠意関わることができれば、生きていくのは楽になる、というのは想像ができますよね。
さて、長くなりましたが、本題です。この玉ねぎの皮の剥がし方、どうやるんでしょうか?
答えは「利他的な行動をすること」です。
言い換えると、目の前の人の役に立つこと。自分を犠牲にしても相手の利益を追求すること。自分の気持ちはさておき、相手の気持ちにコミットすること。相手に尽くすこと。
例えば、どうしても謝りたくない場面で、相手の気持ちを考え、我慢して誠心誠意謝ること。これ、めっちゃ苦しい行動です。なかなかできることではないです。
謝るのが苦手な人、はーい!
どうして謝りたくないのか、それはプライドが傷つけられるからです。自分を守るために謝らない、果ては逆ギレ、相手に謝らせる。私はそんなことをよく子どもや夫にしていました。全ては自我が強すぎたから。でも実際はこんなふうに謝らせても、スッキリもしないし、そんな自分が好きになれずかえって苦しい思いをしていたように思います。
自我を剥ぎ取る、玉ねぎの皮を剥く作業はとてもしんどく、苦しいことなのですが、結果的に自分を楽に生きるための訓練なんですね。
言うならば、子育てやお仕事中なんて、全てが利他的行動と言っても過言ではないと思います。理解不能・理不尽な要求をされますよね?子どもから、会社から。その中で自分を押し殺して、子どもや会社のために尽くす。とてもストレスがかかり、しんどいことですよね。でもこの時間は実は自我を削ぎ落とす、玉ねぎの皮を剥く作業ができているということです。
一番難しいのは家族に対してです。家族にできれば、他人なんて余裕だ、と先生は仰っていました。
この玉ねぎの皮を削ぐことで、どんなメリットがあるのか。
生きやすくなる、自分を好きになれる、自分を縛る暗黙のルールから解き放たれ、精神的に成長できる。人生の困難にぶち当たっても強く生き抜くことができる。幸せを感じやすくなる、人を家族を幸せにできる。
私は、自分の家族や自分を関わる全ての人にハッピーを届けられる人になりたいと思っています。ざっくりした夢、しかしなかなかハードルの高い夢。
少なくとも自分の機嫌を自分で取り、いつでもココロ穏やかに、笑顔で、ご機嫌でいたいなと思っています。
まだまだ私も訓練中、また報告していきますね。