関西弁に憧れています(笑)東京生まれ、育ちのため、方言が羨ましいです。広島に住んでいたときは、ちょっと真似して使ったりしていましたが、新潟はそこまで方言を聞かないのでさみしいです。
さて、今日は「なぜか私だけ怒られる」「同じことをしていても、私だけ注意される」「自分にだけ当たりが強い」こんないやーーーな経験をどうプラスに持っていくか、を考えてみたいと思います。
結論
- 正義は人の数だけあるので気にしない。
- 言いたい人は「自分の主張を聞いてほしい」という自己愛を満たせていない人が多い。
- ポチを躾ける絶好の機会と心得る。
私の体験
小さい頃からとにかくこの経験が多かった私。落ち着きがなく、注意散漫で、忘れ物も多い。何度も同じことで失敗を繰り返すので、どこにいてもダントツで怒られてきました。中学の部活では「怒られ横綱」とあだ名をつけられたほどでした。
自分は出来損ないなんだと、どんどん自信をなくしていきました。怒られないようにするにはどうすればいいのか、正解を探すようになり、自分がどうしたいのかわからなくなってしまいました。自分ではいいと思って行動することが注意の対象になるため、人の顔色を伺って物事の判断ができなくなっていました。
自信をとりもどすまでにしたこと
少しずつ自己決定をする場面を増やしていきました。できるだけ、人に影響がない小さいことから始めます。
それは、心から食べたいものを選んで買うとか、好きなだけ寝てみるとか、観たい動画を観るとか。
こんな些細なことでも頭の中で葛藤が生まれます。「それって、今やるべきこと?」「もったいなくない?」「〇〇が良くないって言ってたよ?」など、これまで自分に投げかけられてきた、自分の考えや行動をストップさせようとする他人の言葉が浮かんできます。
とてもしんどいですが、これまでの流れを変える必要があります。エイッと勇気を振り絞って、いつもと違う行動、自分が本当にしたいことを選んでみます。
すると、意外とできるじゃん、そしてめっちゃ清々しいじゃんという新たな発見が生まれます。
やってみて、「あれ、そんなにうれしくなかった、楽しくなかった」なんてこともあるかもしれません。それはそれで経験です。これまで自分の判断で行動できていなかったので、失敗もできていなかったのです。失敗することも含めて自分の責任になります。この責任を負うことが、自分の考えで行動することの楽しさ、嬉しさ、爽快感を高めてくれます。
それでも人から注意を受ける、その対処法は?
まずは、自分の判断がどうだったのか振り返ってみます。指摘や批判を受け素直に反省することは、自分の成長に繋がります。冷静に状況を整理してみましょう。
振り返ってみて、必要な学びを取り入れたら、あとは気にしないことです(笑)なぜなら、自分にだけ注意をしてくるのは、あなたがオープンマインドで誰も彼も受け入れられるココロを持っているとバレているからです。バレちゃぁ仕方ない!
注意をする人は、相手を選んでいます。もし注意して反撃にあったら自分が傷つくことになるので、反撃してこない、一見自分より弱いやつをターゲットにしています。
でも実際は違います。一見弱そうに見える、反撃していかない人は、本当は誰よりもココロの強い人なんです。だって世界中すべての人が「自分を一番大切にしてほしい」と思ってるんですよ。注意する人と同じように、言われた方も自分が一番かわいいんです。でも、その「自分を大切にしてほしい」という気持ちを抑えて、相手の感情を受け止めてあげられる。自分よりも相手を優先できる人は、ポチの躾けができている、ココロの自由な人なんです。
相手のポチはいつだって自分の立場や気分が悪くなれば、攻撃をしかけるファイティングポーズで待機しています。「自分を大切にしてほしい」という気持ちを他人に求め、叶わないことがあると仕掛けてきます。こんな生き方はしんどいと思います。
一方「自分を大切にすること」を人に求めず、自分の中で叶えられる人は、生きる苦しみをグンと減らすことができます。
注意を受けたとき、ムッとしたり、言い返したくなったり、愚痴りたくなったりしますよね。その気持ちは「自分のことを大切にしてほしい」という黄色信号。この気持ちがあることで生きる苦しみが増えます。「そりゃ、自分を大切にしてほしいよなぁ、でも他人は変えられないし、自分で自分を大切にしてあげよう。はぁームカついたねぇ・・」と自分の気持ちを認め、カラダの動きに意識を向けて切り替える。これでポチを鎮めることができれば最強です。
ポチを躾けること、知性を磨くためには人間関係の中で揉まれることが必須です。一人で生きていたら知性は育ちません。
しんどいこともたくさんあると思いますが、不満や不安が溢れてきたときは「自分を大切にしてほしい」と他人に求めていないか、それは自分の中で「自分を大切にする」ことで満たせないか振り返ってみましょう。
私もまだまだまだまだ・・・修行中の身でございます。覚書の一つとして・・・
読んでくださり、ありがとうございました!